1. (元記事: inhabitat.com (coffeenutsから))

     
  2. (元記事: lorijupiter (coffeenutsから))

     
  3.  
  4.  

  5. "過去、”L”の発音を教えてた時の事。”L”を使う単語として”Love”だとか”Cloud”だとかで練習しても全然上達してくれないのに、”Lux Super Rich”で練習するとLとRの発音が両方とも瞬時に改善されたという怪現象を経験したことがある。"
     

  6. "自分が年老いて動けなくなったら、障害者になったら、生活保護を受ける「社会のお荷物」状態になったなら、迷わず安楽死させてもらう、と一見潔い決意めいたことを言う人もいる。しかしわたしはそういう「宣言」を半分笑いながら聞くことにしている。自分が少しでも楽に生きたいがために社会保障費を食いつぶすような他人は死んでもらうのが当たり前と思うぐらいにおのれの生に執着している人間が、年老いたから、障害を持ったからといって自分が死ぬべき側になったことを簡単に受け入れられるものだとはちょっと思えないからである。わたしの母は相方が「身も蓋もない」と称するほどの唯物論者で筋金入りのリアリストなのだが、その母ですら死を選ぶ自信はないという。そして「リアリストいうのはな、自分がそんな状態になったときにどんだけ理不尽な希望を持ってしもうて、どんなブザマな姿でお願いしてしまうやろかってことを現時点でありありと想像できてこそやで」と言って笑う、この人でさえなければと思うことはよくあったが、やはりわたしは間違いなくこの人に育てられたのだなと時々思う。"
     

  7. "

    「The Birthday」

     25年ほど前の話、オレは18~9才のガキんちょで、ハイスタの前に組んでたバンドで東京都内のいろんなライブハウスで月に2~3本のライブをしてた。ライブハウス仲間なんてまだできる前で、いわゆる「ライブハウスブッキング」にばかり出てた。ライブハウス仲間ができると、みんなで話をして「企画」なるものを打ち始める。出演バンドを選んで声をかけ、企画名なんかをつけてフライヤーをまいて、独自の色を出して集客を狙いバンドの力にしていく。そこまでたどりついていないバンド達は、ライブハウスにお願いして日にちや曜日を問わず4~5バンド集められライブをする。チケットは全部手売りで、結局観客は各バンドの友達ばかり。これが「ライブハウスブッキング」だ。元々人脈がある人はそんなところを通らずにスルリといけるのだが、オレみたいに知り合いもいないしどうして良いかもわからないバンドマンにとっては、それが命綱だった。
     そこで終わってしまうバンドもいれば、そこをきっかけに仲良くなってバンド仲間にもなったりする。使い方はバンド達、バンドマン達次第なのだ。

     高円寺20000V というライブハウスがあった。当時はまだオープンしたばかりだった。まだ10代だったオレがやってたバンドは、その新しいライブハウスのブッキングで、ド平日の全く知らないバンド達のライブに参加した。
     昼間のリハーサルで、一人ちょっと寡黙なムードを漂わせている男がいた。その男の名前は「チバユウスケ」、バンド名は「ミッシェル・ガン・エレファント」だった。1988年や89年の話だ。ミッシェルは公には1991年結成と書かれているが、実は80年代終わりにはすでにあったのだ。

     オレは知らない人でもドンドン積極的に声をかけるタイプのガキだったので(今は全然違うがw)、当然その、ムードをバリバリに漂わせた男に声をかけた。何を話したかは今となっては覚えていないが、半日一緒にいたわけだからほどほどに話はしたと思う(年の話もしたのだが、ズーッと2才年上だと思ってたら、つい最近たった1才違いだと発覚した)。そしてその半日の間、あまり相手にされていなかったような記憶がある(猛爆)。
     当時のミッシェルは、チバくん以外は全員、皆さんが知ってるあのラインナップとは違った。もちろんスーツは着ていない。音楽も、ガレージというよりはもっと骨太なロックンロール、ちょっとビートがヘビーになった中期ローリングストーンズのような印象だ。チバくんはすでにあの怒鳴るかのようなスタイルを身につけてたように思う。オレは当時ですら死語になりつつあった「ビートパンクバンド」をやっていた。大体ビートパンクをやっているようなバンドは安く見られていたので、チバくんがオレにも、オレがやってたバンドにも興味をそそられなかったのも納得がいく。
     結局半日一緒にいたにもかかわらず、連絡先を交換することもなく別れ、その後一緒にライブをやることはなかった。
     ただ「チバ」って名前と「ミッシェル・ガン・エレファント」なるバンド名は強烈に自分の中に残った。

     時は流れて1991年、オレはやってたバンドが解散しハイスタンダードを結成した。皆さんご存知の通り、結成直後はあまり華やかな活動はできなかったものの、4年後にはライブハウスの人気バンドになっていた。
     ハイスタは95年に最初のフルアルバム「Growing Up」をリリースした。ライブハウスで得た方法論を駆使して、オレ達なりの「DIY」を実践した。同時に海外にも目を向けていたので、自分で言うのもなんだが、日本の音楽界の中でも独特の存在感を示した(はずだ)。
     その翌年くらいになると、なんか見覚えのある名前のバンドが音楽誌に載り始めた。シングルやアルバムをリリースし、インタビュー欄を読めば載ってるし、情報欄にも載ってる。
     「ミッシェル・ガン・エレファント」だった。
     
     「あ、あのチバくんのところじゃん。やってたんだ!」、そんなことを考えつつも、なんとなくだが、メジャーっぽさを感じてイヤだった。考えてみりゃ自分達だってメジャーからリリースしたのに、「オレ達よりもセルアウトしてるんじゃねぇの?」…そんなところだったと思う。とにかくちょっと癪な存在に感じた。若い時は「自分が1番尖っていたい。自分達以外はダサい。自分達はスジ通しててカッコいい。」、とかくそう思いがちだ。いわゆる身内のバンドならともかく、身近じゃない同世代のバンドにリスペクトを払うことはできなかった。少なくともオレはできなかった。今思えば、自分達とはちょっと立ち位置が違うバンドに対しての、完全なるただの拒絶反応なのだが。そして「まさかチバくん、オレがハイスタだなんて、あの時のオレがこうしてやってるなんて想像もしてないだろうな…」とも思った。

     ハイスタは順調に活動を続けて、ドンドン大きくなっていった。97年にリリースした「Angry Fist」は発売当初から大きな注目を浴び、他の同世代のバンド達の追随を許さなかった…はずだった。一つだけチラチラと視界に入ってくるバンドを除いては。
     ミッシェルだった。
     オレ達はメロディックパンクを中心とした「新しいカルチャー」を巻き込んで大きな存在になっていった。その「目の前の新しいカルチャー」がオレ達の全てだった。ところが違う場所でオレ達とちょうどドンピシャで同じ時期に、同じように存在感を大きくしていたのがミッシェルだった。ハイスタの他の2人は意識もしていなかっただろうが、オレはなんとなく心の中では無視できなかった。

     97年初夏のある日、「Angry Fist ツアー」を敢行していたオレ達は、メンバーとクルー合わせて6人で1台のハイエースに満乗りしながら高速を移動してた。広島かどこかだっただろうか、休憩を取るためサービスエリアに寄った。ハイエースを降りてみんなでフラフラしていると、一人の男性が寄ってきて話しかけてきた。
     「あのぉ、ハイスタンダードの方ですよね?私はミッシェル・ガン・エレファントのマネージャーをしている者です。ただいまツアー中でしてメンバーも全員おりますので、もし良かったら集合写真を撮りませんか?」
     その男性の向こうを見ると、あの4人がスタッフの方々と一緒にいた。オレはチバくんを見つけ、話しかけようと近寄った。「むかーしライブで一緒だったことあるんですよ」…そんなことを言いたかったんだと思う。とにかくハイスタチームの輪を離れ、チバくんの方に向かった。すると、チバくんもオレの方に近寄ってきた。そして2人ともほぼ同時に「あの時の…だよねぇ?」、そう言った。チバくんもオレのことを覚えててくれたのだ。この時すでに、あの共演から10年近く経ってた。チバくんはバンド名がそのままだから分かるとしても、チバくんも「ハイスタをやってるのはあの時のヤツなんだ」と知っててくれたのだ。単純に嬉しかった。

     しかし、写真撮影は行われなかった。ハイスタチームもミッシェルチームも照れがあったのか、それとも「誰?友達?」って感じだったのか定かではないが、両チームともオレとチバくんだけを真ん中に残して、微妙な距離を保った。先のマネージャーの方が「さ、集合写真でも…」とけしかけるのだが、誰一人動こうとしない。
     結局まとまらず、ハイスタはまた1台のハイエースに満乗りで、ミッシェルはスタッフの方の人数もオレ達より全然多かったので2台の大きなバンに分乗し、走り始めてしまった。
     オレがギターのアベくんを見たのは、これが最初で最後だった。それを思うと、オレも「撮ろう!撮ろう!」と騒いで、無理矢理にでも撮っておけば良かった。しょうがない、お互い若くてツッパってたから「集合写真なんてダサくて撮れねえよ」、そんな気持ちもあったのだろう。でも無理矢理にでも撮っておけば良かったと、今は思う。
     それからまたしばらく、チバくんともミッシェルとも会うことはなかった。

     2000年の初頭、ハイスタは新宿 loft でライブをして、その日一緒に演った SOBUT や ASSFORT と打ち上げをしていた。SOBUT のヨシヤ(現 RADIOTS)達に誘われたらしく、チバくんはフラリとその場に現れた。
     この時は「あぁ、久しぶり!」という感じだったが、お互いにビンビンに意識しているのがわかった。オレの飲んでた席についたチバくんはすでに酔っ払ってた。そしてこう言うのだ。
     「今度一緒にライブ演ろうよ。ハイスタとミッシェルで。演らせてよ。」
     その呼びかけにオレが答えるより早く、続けざまにチバくんが独り言のように言ったのを、オレは聞き逃さなかった。
     「ぜってぇブッ潰してやっからよぉ。」
     別に喧嘩腰で言ったわけじゃないのは分かったが、オレも一瞬「…えっ!?」となり、半分立ち上がろうとした。バンドマン同士、たまにこういうことはある。たかだか一緒にライブを演るだけなのに、それがまるで勝負事や喧嘩のように思えてしまう。特に自分が「張ってる」と思って演ってる人なら、しょっちゅうあることだ。今思えば、チバくんのその一言やオレの反応が、お互いをどれだけ意識していたかの証拠でもあった。
     もしかしたら、これがハイスタとミッシェルが一番近づいた瞬間かもしれない。

     その数ヵ月後、ハイスタンダードは活動を停止した。
     その3年後の2003年、ミッシェル・ガン・エレファントは解散した。
     
     ミッシェル・ガン・エレファントのギタリストのアベくんは、2009年に他界した。
     共演は実現しなかった。
     
     皮肉なことに、ベースのウエノくんが the HIATUS に加入したため、2009年頃からグッと会う機会が多くなった。

     その後オレは Ken Yokoyama として、チバくんは幾つかのバンドを経て The Birthday を結成した。2000年代になってあちこちで開催されるようになった「夏フェス」のお陰で、出演する日が一緒になったりとかそういう感じで、オレとチバくんは数年に一度顔を合わした。さすがに、もう普通の挨拶をするようになった。しかし相変わらず「一緒にライブをする機会」は来ない。ここまでくると「一緒にライブする方がむしろ変」ぐらいになってしまってるのではないだろうか。

     しかしその不文律がアッサリ破られる時がきた。渋谷クアトロ25周年記念シリーズの初日に「Ken Yokoyama VS The Birthday」が組まれた。オレは嬉しかったし、その日が楽しみでしょうがなかった。
     実際、いつもだったら「遅刻するのが当然」のオレが、予定の時間よりも早く会場入りした。そして用もないのに何度も The Birthday の楽屋に顔を出すのだが…25年前と変わらず、あまり相手にされない。下らないネタ話や大して話す必要もないことを一方的に延々話した。ドラムのキューちゃんだけが少し相手にしてくれた。チバくんはとにかく寡黙だった。それでもオレは何度も何度も楽屋に現れ、The Birthday のメンバーにちょっかいを出し続けた。長い年月を経て再びチバくんと同じステージに立つことが、嬉しくてたまらなかった。なんでそんなに嬉しいのか、理由は自分でも良くわからない。

     本番を向かえ、The Birthday が先にステージに出た。オレはすでに「今日が終わって欲しくない」と思ってた。オレはフロアに出た。
     The Birthday はカッコ良かった。楽器の音がすごく良かった。Ken Band を観に来たであろうお客さんも、喜んで観てるのが手に取るように分かった。チバくんはオレからしたら「ザ・フロントマン」だ。ここまで「当たり前のようにカッコ良い人」の後にオレが出ることを少しだけ、ほんの少しだけ「悪いね」と思った。
     この組み合わせは意外と相性は悪くないとオレ個人的には思ったし、事実両バンドとも大いに盛り上がった。
     オレの出番も終わり再び The Birthday の楽屋に顔を出すと、さっきまで寡黙だったチバくんが、酔っ払って明るく愉快な人になってた。

     会場内で軽く打ち上げをすることになった。オレはもう酒も飲まないし、最近滅多に打ち上げに出ることもないけれども、さすがにこの日は残りたかった。チバくんは酔っ払ってダミ声を上げ、絶好調の様子だった。最初は離れてたものの、やっぱりオレとチバくんは話し始めた。「あの時こう思ってた」だの「オレ達はこういうつもりで演ってた」だの…。25年間もの間、数えるほどしか顔を合わせていないオレ達だが、さすがに共通の友達が多かった。現役のバンドマン達はもちろんのこと、80年代後半のライブハウスで活躍した人達や、その周りにいた人達のことでも話に花が咲いた。「誰は今どうしてる」だの「誰が亡くなっちゃった」だの…。本当に、お互いがチャンスをつかむ前から、ものすごく近い距離にいたんだなと実感した。
     その場に、The Birthday のマネージメントの会社の社長、能野さんがいた。ミッシェル・ガン・エレファントはその人と一緒に大きくなった。オレは「the原爆オナニーズ」に在籍していた時にお世話になっているから、むしろチバくんよりも面識がある。その能野さんがしみじみとこう言った。
     「横山くん…やれることは全部やった方がいいよ。やれるうちに全部やった方がいい。」
     どういう含みを持っていたのかは定かではないが、もちろん、「もう二度と動くことのないミッシェル・ガン・エレファント」が頭を過ぎった。そして、なんとなく、「ハイスタンダードを再び動かすことができたのはとても幸せなことなんだよ」と言われてる気がした。ものすごく効いた。沁みた。
     チバくんに目をやると、誰かにダミ声あげて上機嫌だった。

     このオッサンの2人のバンドマンの話が…チバくんがどう思ってるか知らないが、オレには「すいぶん時間をかけて大掛かりになったドラマチックなこと」に思えてしょうがない。むしろ、チバくんに客観的にそんなことを考えられたら、それこそチバくんらしくないから考えて欲しくもないが。
     その一日が終わってしまうのが名残惜しかった。オレは帰るけど、キューちゃん達は近所の飲み屋にいくと言う。チバくんはどこへ行ったのかは知らない。
     帰り道、一人で車を運転しながら、年をとっていくことって凄く楽しいじゃねぇか、と思った。たぶんニヤニヤしてたと思う。
     オレとチバくんは、きっと元々こういう距離感なんだ。

     そういえば、帰り際にチバくんの連絡先を聞いた。もちろんオレのも教えた。でもまだ電話はかけていない。もちろんチバくんからもかかってこない。
     
     でもそのうち連絡してみようと思う。
     また一緒にライブしたい。

    "
     
  8. kotoripiyopiyo:

    NOがYESになる彫刻

    picapixels:

    56Yhj.gif

     
  9. hapirai:

    「数学の概念」を視覚的かつ美しく表現したグラフィックいろいろ - GIGAZINE

    サイン・コサインのグラフがなぜ波形なのか、位相がπ/2rad(ラジアン)違うのかは、このグラフィックだとよく理解できます。

    (cocolochronicleから)

     
  10. (元記事: do4do (mobitsから))